思うところ

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India(おまけ)

インドは、「日本人女子に対するセクハラが多い」と言われている。
何でも、インドでは日本のエロビデオが出回っているため
日本人の女の子と言えば、エロビデオの中の女の子のイメージが浮かぶようで、
すぐセックスさせてくれると思っている人がいるらしい、とか。

そういえば、こんなこともあった。

噛みタバコで歯が溶けたぽっちゃりというかおデブなインド人は、
うれしそうに足を触ってきたし、(触るなと言って手を跳ね除けてやった。)

駅で電車を待っていたら、シャツの胸元を広く空けた、20代後半と思われる
比較的美男子?のインド人が寄ってきて、「名前はなあに?」「旅行なのー?」と
甘ったるく声を掛けてきた。
すごく密着して座ってきたので、「何か用?」と言ったら 「何も・・」と切なそうな
上目遣いで言ってきた。
その上目遣いがかなり本格的で、恋をしているような目つきだった。
なんだコイツはと思って、「Go Away」と言ったら 「何でそんな冷たいの・・・」と
いう目をしていたが 更に「Go Away, now!」と大声で言ったらすごすごと去っていった。

その他「明日からお祭りがあるからここに残りなよ、僕と一緒に過ごそう」とこれまた
甘い声で言って来た 中年インド人とかがいた。(これも同じく無視。ていうか結婚してんだろ
って感じ。)

短期間でこんなに多くの接触があったので、確かにセクハラは多いと言えそうだ。
どれも軽度ではあったが、私は明るいうちにしか行動しなかったし、
周りに人がいない場所には行かなかったのでこの程度で済んだのかもしれない。

男ってのはー どこの国へ行ってもスケベなんですなぁ。
まあ 個人的な意見としては 風俗へ行って金で済ませるタイプより 自分で声を掛けて
女子を説得して(口説いて)手に入れるタイプの方がマシだと思うけど。

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テーマ:一人旅 - ジャンル:旅行

  1. 2008/11/28(金) 05:31:47|
  2. 旅(インド)
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日常へ

デリーから乗り換えのために香港へ。関西空港行きは4時間後発。
香港の免税店周辺で時間を潰さなくてはならなかった。
しかし動き回る元気などない。寒気と腹痛が酷い。
私はトイレの前のソファに座り込み、10分に一度は
ソファとトイレの往復をしていた。

香港は、冷房好きで有名な場所だ。とにかくどこへ行ってもバカみたいに冷房が効いていて寒い。
ユニクロのパーカーだけでは耐えられない寒さだ。
何だって無駄なエネルギーを使って、寒さを感じなくてはならないのか・・・。
怒りを感じる気力もなく ソファに沈んではトイレ、を延々と繰り返した。

そうしてようやく4時間が過ぎ、関空行きの飛行機に乗り込み、
関空から新幹線で名古屋(実家)へ行き、私の一人旅は幕を閉じた。

旅に行く前は、「インドで人生について考えよう」的なありがちなことを考えもしたのだが、
思い返せば 人生のことなど何も考えなかった。
Kolkataで出会った日本人大学生の男の子は「ガンガーを眺めながら人生考えました」
と目を輝かせて言っていたが、その時私は「一体何を考えたのか、ほぼ縁もないだろう
ガンガーなど見て、何を考えられるというのか」と不思議に思ったほどだった。

だが私も 大学生の頃は、「一人旅で人生再考」というのが趣味のようなものだった。
あの頃の一人旅は、不思議と日常とは違う感性が芽生え、自分の考えの土台のようなものを
築く とてもいい時間だった。
だが、何故か今回は違った。大学の時のように、旅では様々な出来事があった。
にも関わらず、あの頃のような感覚はなくなっていた。

たぶん もう土台を築く時期は過ぎていたということと
何かすごく疲れていて 何も考えたくなかったから だと思う。

ただ私はインドをフラつき(ほとんど「彷徨った」という感じ)、水道の蛇口から
出てくる水を頭から浴びて体を洗い、白いヤモリや蚊と一緒に眠った。
でもそれだけで、十分だったと今は思う。
そういう インドでのシンプルな生活によって おおよそのモノは生きていく上で不必要だと
いうことを再度実感できて、私は何だか解放された気分になったからだ。

というのはまあいいのだが、困ったのは原因不明の寒気と腹痛だ。
名古屋へ戻ってもそれはやはり治らず、翌日友人家でのたこやきパーティー
へ行く時など体調不良度合いはMAXになり 歩くこともできない私は
Tシャツにインドで買ったサイババパンツ、ノーメイクの姿で友人の車に倒れこんだ。
(そこまでして行く必要はあったのかわからないが)

友人宅に着いてからも、たこやきを一つとして焼くことはできず、
友人の彼氏のテンピュールの高級ベッドの中で唸ることしかできなかった。
だが 友人が彼氏の前で 少林寺のポーズがプリントされた黄土色のTシャツを
ジャージにインして着、ノーメイクでチョンマゲを結っていた姿を見たときばかりは、
瀕死の私の顔にも笑顔が取り戻された。
誰が付き合って1年かそこらの彼氏の前で少林寺Tシャツをジャージにインするだろうか。
無理して来た甲斐があったというものだ。

その後帰宅し、流石に腹痛が治まらないので、母が買ってきてくれた薬を飲んだ。
その薬の名前は「ガスピタン」という とぼけた名前の、効かなさそうな薬だった。
だが、数時間後、私の腹痛はあっさり完治したのだった。

そうして私は腹痛の回復と共に日常へ戻っていった。

テーマ:一人旅 - ジャンル:旅行

  1. 2008/11/24(月) 08:37:22|
  2. 旅(インド)
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India(Darjeeling2)

その後街をフラつく。が、Darjeelingの街は空気が汚い。
標高2000メートルの地とは思えぬ空気の悪さだ。
空気を汚す諸悪の根源は 私が何度も世話になったジープだ。
道路条件が最悪の道を力強く走るジープは移動時は心強いが、
徒歩する立場となると一気に迷惑な存在になる。
ディーゼルエンジンを使用しているらしく 排気ガスは真っ黒で、悪臭がする。
タオルを口に当てていたが、肺が苦しくなり咳き込んでしまったほどだ。
私は街をゲホゲホ言いながら走りぬけ、空気のいい場所まで登った。
Darjeelingの人は、せっかくこんな素晴らしい自然の中に生きているのに、
生活する場ではいつもあんな排気ガスが蔓延しているなんて・・・。
どうやったらDarjeelingでディーゼル車を廃止できるもんか、政治家は考えているのかと
短時間考えたが 私には何もできまいと思ったら急に無気力になって 考えるのを止めた。

その直後、
排気ガスのせいか、気温が急激に下がったせいか、腸チフスが流行していたKolkataで
ハエがたかる屋台のカレーを食べていたせいか、何だかわからないが 急に体調が悪くなった。
フラフラになりながらホテルに帰り、ベッドに倒れ暫く眠った。が、全然治らない。
お腹は痛く、ガタガタと体が震える。ヤバい。しかも明日はDelhiから帰国しなければならないのに。
私は近くの薬局で買ったインドの抗生物質を飲み込んで、もう一度寝た。
暫くしてもう一度起きたが、やはり治らない。でももうDelhiに行くために
空港に行かなければいけない。この飛行機でないと、帰国便にも間に合わなくなる。
私は荷物を纏めてバックパックを背負って宿を出た。

体調最悪の中、またジープに乗る。でもあとは乗り物に乗るだけ、、何とか大丈夫そうだ・・・
そう思っていたが、いつまでたっても空港に着かない。
お祭りをしていて、大渋滞で車が前に進まないのだ。
その上ジープの運転手がお昼休憩など取るから、1時間半以上余裕を見ていた時間がいつの間
にかなくなり、本当に飛行機に乗り遅れそうだ、というところまで時間がなくなった。
「大丈夫、ここはインド。焦らない。」とずっと思っていた私も流石に焦りはじめ、
「飛行機に間に合わないよ!早く出発して」とカレーを食べている途中の運転手にせがんだ。
運転手は、大丈夫、あと30分くらいで着く、と言う。あと30分じゃ、出発時刻を越えてしまう!
更に私は言った。すると、航空会社はどこだと言う。チケットの控えを見せると、航空会社に
電話して何やら話している。電話を切ると、運転手は「大丈夫、飛行機は出発が1時間遅れる
ことになったらしい」と。
「ウソつけ!クソ!」と私はつい怒鳴った。
何かわからないが絶対に嘘だと思った。もし本当だったら悪いな、とちょっと思ったが、
謝る余裕は既になかった。

その後 半ば諦め気味で、空港に向かった。が、どこかでまだ大丈夫では、
飛行機には乗れるのでは、と思っていた。
ジープを降り30分程リキシャーに揺られ、ようやく空港に着いた。
走ったが、時既に遅し。飛行機は遅延などしていなかった。定刻通りに出発していた。
私のチケットは、変更不可のもの。よって、そのチケットは紙くずとなった。

だが、今日Delhiに帰らないと、帰国便までパアになってしまう。
金を出すから、他の便はないかと聞いても、ないと言われる。
でもどうしてもDelhiに行かねば。他の航空会社をいくつも周った。
ようやくある航空会社に、あと30分後にある、と言われ、信じられない程高い値段を言い渡された。
背に腹は変えられない。私は持っている全財産を出してチケットを買った。
チケットを買ったら、残ったのは20~30ルピー(100円くらい)だった。
本当にギリギリだった。これでお金が足りなかったら本当にお終いだった。

とにかくようやくチケットを手に入れ、私はDelhiに戻り、体調最悪のまま帰国の途に着いたのだった。

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  1. 2008/11/15(土) 09:24:18|
  2. 旅(インド)
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India(Darjeeling)

Kolkataを離れDarjeeling(ダージリン)に到着。
電車で知り合ったカナダの男の子と一緒に乗り合いジープに乗る。
乗った後に運転手が決めた筈の乗車賃を値上げしてきた。
何やらいろいろ理屈をこねている。
インド人は英語で言っていたのだが、訛りすぎていてカナダ人の男の子は聞き取れないようで
「何を言っているんだ」と私に聞くので 私が英語で説明していた。
インド人の英語も酷いが私の英語も相当酷い。酷い英語を更に酷い英語で英語がネイティブの人
に訳して伝えるなど妙な通訳だが何とか通じたようだ。
結局ちょっとだけ乗車賃を上げられてしまったが、適正価格の範囲内であったためまあよしとした。

それより気になったのは、ジープに人が乗りすぎており 
私は助手席にカナダの男の子の二人で乗るハメに。ベンチシートのような座席だったので
なんとか座れたが、運転手とカナダ人に挟まれる形で座った私の股の間には、丁度
シフトチェンジする棒が。
どうしたものかと少し悩んだが、窮屈で微動だにできない。私は諦めた。
勿論車はマニュアル車だ。でこぼこ道のため5秒に一度はシフトチェンジが行われ、
その度に私の股の間で運転手がガクガクと棒を動かす。運転手は全く躊躇しない。意に介さずと
いった感じだ。私は何とも言えぬ複雑な気分だった。
約1時間後、休憩を挟んだがカナダ人が席を代わってくれる気配もない。一人で耐えろという事か。
私は股の前に本を当て、シフトチェンジの棒から気持ち距離を置くことだけが精一杯の足掻きだった。

2時間後、ようやくDarjeelingの街に着いた。気温はKolkataより20度くらい低かった。
空気は澄んでおり、山頂近くに立ち並ぶ家々が造る町並みは、見たこともない景色だった。
街に降り立つと、今までのインドと明らかに違う感じがした。
何が違うかって、まずそこに住む人が違った。チベットが近いことがあり中国系の人が
非常に多かった。また、ネパール人も多かった。
又 皆物腰柔らかく、親切だった。
もう一つ、犬が愛されているだろうこと。イギリスの避暑地として開発された
街ということもあり、犬種はスコッチテリアなどテリア系が多かった気がするが、
多くの犬がきちんと人に愛されていることがよくわかる程 手入れされ、程よく太っていた。
Varanasiのあの薄汚い犬達とは全然違った。運命とは手厳しいもんだ。

Darjeelingに来たので、取り敢えず茶畑行ったりしてみた。
茶畑は確かにあった。取り敢えずDarjeeling teaも買っておいた。
世界遺産の蒸気機関車にも取り合えず乗っておいた。

翌日早朝3時に起き、乗り合いジープでヒマラヤ山脈を一望できる丘まで行った。
これが何とも素晴らしい景色で、モンゴルで見た水平線から上る朝日と同じくらいに感動した。
その日は晴れておりヒマラヤ山脈はくっきりと見て取れ、その他の山々は雲海から頂上だけ
頭を出していた。運よくエヴェレストのピークも見えた。
それらの山々が太陽により徐々に照らされていく光景は、何時間でも見ていたいと思わせてくれる
ものだった。

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  1. 2008/11/15(土) 09:22:05|
  2. 旅(インド)
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India(Kolkata3)

その日はマザーハウスに世界中から50名程のボランティアが来ていた。国籍は
カナダ、UK、スペイン、インドネシア、韓国など 様々だった。
ボランティア先として「障害児の家」「障害者の家」「孤児の家」「死を待つ人の家」の4つの「家」
があるが、私はその内の「障害者の家」という場所へ行くこととなった。

韓国の人に案内してもらってその場所に行く途中、
アウト・カースト(不可触賤民とも言われ差別を受けている)の居住区だろう場所を通った。
暫く雨が降っていない筈なのに水たまりが多く 足元はどろどろしており、異臭がした。
家は今にも倒れそうで、中の人々はとても暗い表情をしていた。
そこは、さっき歩いたKolkataの整備された街と目と鼻の先だった。
インドのカーストは根強いとは聞いていたが、初めて目の当たりにした。
その時の気持ちは言葉では表しようがない。何か、苦しかった、としか。

数十分後に「障害者の家」に到着した。が、先ほどの倒れそうな家々とは対照的に
非常に立派な建物だった。恐らく世界中からマザーハウスに寄付金が集まっているからだろう。
だがマザーハウスに保護された人達もいれば、保護されない人達もいる。
マザーテレサの草の根的活動は言うまでもなく素晴らしいが、その活動が救えない範囲もある
ということを、アウト・カーストの人たちの家を見て痛感した。
助けを求めている人はまだいくらでもいるんだ。

ボランティア自体は、非常に楽しめた。
私は寝たきりの人がご飯を食べる手伝いをしたが、この寝たきりの人が非常によく食べた。
プレートに乗せられたカレーを、一粒も残さず食べ切った。
でもその人は、一言も口を利くことができず、食べ終わるとすぐに寝入ってしまった。
寝たきりでない人々は言葉はヒンドゥー語なので会話することはできないが、
意外に人懐っこく、目と目を合わせてコミュニケーションすることができた。

そうやって楽しんでいた一方で、1日だけ「体験ボランティア」をして、一体何がわかるのかと
言う気持はずっと消えなかった
確かにこの目で見ることはできたが、何を学んだかなんて、そんなたいそうな考えが出るほど
長い時間いなかった。
結局、「このボランティアを長期間やるということはすごいことだ」というのが精一杯の感想だった。

又、マザーテレサは、マザーハウスに来てボランティアするよりも、自国の困っている人に手を
差し伸べなさい、と海外から来たボランティアに言ったらしい。
流石だ、と思った。
既にできあがった(知名度高く、人々に認められた)マザーハウスに一時的に
来るのと、自国で地道なボランティア活動するのとでは、たぶん大きく違う。

実のところ私はマザーハウスのボランティアを、インドの旅のどこかの場所と同じく
チラ見して、通過していったに過ぎない。日本に帰ってボランティア活動するかと言えば
「それとこれとは別。ボランティアはしない。生活もあるし。」と言ってしまうだろう。

旅はいい。いろいろな世界を見れる。思いつかないことが目の前で起こる。
でも、そうやって ただ通過するということだけを繰り返すことは
ただの逃げのような気がした。



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  1. 2008/11/14(金) 05:58:32|
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India(Kolkata2)

Kolkataの街に降り立ってまず見たのはムスリムの人々のお祈りの風景だった。
100人以上が白い服と帽子を身に着け、道路脇でお祈りしていた。
随分と皆正装していると思ったら 後で聞くとその日はムスリムの人々にとって
お祭りの日であったらしい。

インドはヒンドゥー教徒が7割を超えているが、ムスリムも10%強いる。
私が電車で出会ったおじいさんの宗教、スィク教徒は2%程度と意外に少ない。
インドと言えばターバンを巻いている人、というのが昔のステレオタイプな見方だが
実際は11億人中2%らしい。

Delhiでは、インド人に「Kolkataに行くの?なんで?世界で一番汚い街だよ」と
言われ、どんなに汚い街かと思っていたら 思ったよりずっと整備されていて結構キレイで
変にガッカリしてしまった。
勝手な話だが、私はインドに発展してほしくない、とどこかで思っているらしい。
インドにキレイに整備された街なんか要らない。そういうものから離れたいからインドに来たんだ、と。
自国に帰れば世界最高レベルのサービス、綺麗な服、モノが溢れているという前提が
あるからこんなことを思うのだろう。
たかだか旅行者というその国を「チラ見」する立場で、無責任極まりない欲求だ。
一方で、日本のような豊かさがないと生きていけないかというとそうでもないし、
実際はむしろ要らないと思う方が多い。

とか考えながら歩いていると マクドナルドがある筈の場所にブルーシートが掛けられていた。
先週このマックで爆弾テロがあったためだ。
因みに、私がDelhiに到着した日もDelhiでテロがあり死傷者が多数出ていた。
爆弾テロはインド各地の繁華街(マーケットなど)や観光地で起きており 
次またいつ起こるかわからない状況だった。
噂では今日明日あたりKolkataで起こるのではなどと言われていたが、ホテルに籠るわけにも
行かないので、昼は普通に出歩いた。

Kolkataに来たのは、目的があったからだった。
かの有名なマザーテレサの「マザーハウス」でボランティアをしたかったのだ。
本当は2-3週間はいたかったのだが、欲張って旅程を組んでいたら
たった1日しかなくなってしまった。登録している余裕もない。
しょうがないので当日飛び込みで行って登録してないが
入れて下さい、と頼んだ。シスターは嫌な顔一つせず、入れてくれた。
すごく温かい空気を持った人だった。


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  1. 2008/11/13(木) 20:30:06|
  2. 旅(インド)
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India(Kolkata)

夜行列車の向いの席はスィク教徒(ターバンを巻いている人)の老夫婦だった。
ベンガル語で話しかけられたのでほとんどが意味不明であったが、親切だということはわかった。
カタコトの英語で、君は娘と同じ年頃だ、とかなんとか言って、最後は「アーチャーチャーチャー」と
言って笑っていた。(後で調べたらベンガル語で I see. みたいな意味だった。)

暫くして夕食時の時間になり、「ご飯はいらないのか。今なら向こうに行けば買えるよ」と
教えてくれたが 面倒くさかったので「要らない」と答えた。
また暫く経つと、老夫婦は弁当のようなものを広げ始めた。
チャパティー(ナンより薄い)に、何やら紐で縛った黒い物体を乗せ、キュウリを添えて巻いている。
それを覚られないように横目で見ていると、その巻き終わったチャパティーを、意外にも
「食べなさい」と私に渡してくれた。
なんて親切な、、。私はとても嬉しかった。

一方、「インドの列車では 食べ物は貰わないように」、とガイドブックに
わざわざ注意書きがあるほど、日本人が電車でトラブルに遭う例は多いらしい、
ということが気になった。
(トイレに行っている間に自分のミネラルウォーターに薬を入れられ、それを飲み
意識不明になっている間に身包み剥がされた、など。)

差し出されたチャパティー巻きを見ながら、これを食べたらもしかしたら・・・と
1~2秒の間に数回自分に「どうするか、食うか?」と問いかけをし、
直後に「食べてしまえ」との決定を下した。

何故なら、その老夫婦の目は、本当に心の優しい人が持っている目だと思ったから。それだけ。
私は、「目は口ほどにものを言う」以上に、目にはその人の人格や、生き様のようなものまで
映し出されると思っている。
言葉が通じないなら、目を見て判断すれば、ほぼ間違いはない。
少なくとも今のところ、一度も間違えたことはない。

兎に角、その老夫婦は、薪代を要求してきた老婆とは明らかに違う眼差しを
持っていた(気がした)。

私はお礼を言って、チャパティー巻きをほおばった。
黒い物体が一体何なのか最後までわからなかったが、とてもおいしかった。
見ず知らずの日本人に、ここまで親切にしてくれ、本当に感激した。
親切って、本当に温かい。
朝になり、無事に目が覚めたので、その食べ物には毒は入っていなかったようだ。

やがて老夫婦が下車した。その直後、私がトイレに行っているほんの1-2分の間に
私の携帯が盗まれた。網棚に入れておいた私が悪かった。
取り敢えず職員を呼び、職員と親切な?乗客計3人に囲まれたが
結局「下車後に警察に行け」と。そんなの見つかるわけないと思っていると
不意に、「おまえ携帯2個持ってるだろう」と3人の中の1人が言った。
確かに私は携帯を2個持っていた。だが、何故知っているんだ?
3人とも、私が携帯を失くした後にここへ来た筈なのに。
怪しい・・・。この中の誰かが、私が携帯を2個持ってるから1個くらいはいいだろうと
思って盗ったのでは・・・。
しかし正面から疑うほど確実な証拠はないので、
とにかく私はどうしよう、どうしよう と必要以上に困った顔をした。

すると約30分後、突如ベッドの下から携帯が出てきた。
ベッド下は、網棚からテレポーテーションでもしない限り移動不可能な場所だ。
不可解ではあったが取り急ぎ職員と親切な?乗客に見つかった、と知らせると 
「神のご加護だ」と皆お祈りを始めた。

私はこの中の誰が犯人だったのか、と思ったが 結局返してくれたので
結果オーライとすることにした。

親切な?乗客は、その後もKolkataの最寄駅到着まで近くにいてくれ、
下車後も途中まで一緒に、と 共にタクシーに乗った。
暫く走ると彼は、当然のようにタクシー代を払わずに笑顔でお別れを言って降りて行った。
この憎めないちゃっかりさ。(単にはめられた気もするが)

で、ようやくKolkataの街に足を踏み入れた。

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  1. 2008/11/11(火) 08:23:14|
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India(Varanasi)

Varanasi は賑やかな町だった。人力車やバイクの止め処ない行き交いで
土埃が舞い立っているが ガンガーの水辺は空気が澄んでいた。

ガンガーで沐浴する人、サドゥ(修行僧)、
観光客にまとわりつき何とか金を搾り取ろうとする人、物乞いの人、
裏道でウンコする人、いろいろ出会った。

ガンガー付近の道は、細道で迷路のようになっているのだが、この道々は異臭に溢れていた。
そこに牛と犬がたくさんいる。牛が通せんぼしており通れない道もいくつかあった。
犬はとにかくみすぼらしい。泥にまみれ、毛は抜け落ち、痩せこけてあばら骨が浮き出ていた。
日本にいる服などを着せられている過保護な犬と同じ生き物とは到底思えない。
レースのスカートを履いたひ弱なチワワなど、ここでは1日も生きていけまい。

牛はヒンドゥーにとって神聖な生き物なので殺されないとは言え、
正直働かせられず乳も出さない雄牛はインド人にとっても邪魔らしい。
何度か、人が牛を思い切り叩いて追い払う場面を見た。
犬は、神聖でも何でもないのでもっと酷い。食べ物も誰も与えてもらえないせいか、
飢えた犬が犬の糞を食べていた。
最後の力を振り絞って子孫を残すためか、性交渉に勤しむ犬もよく見た。

ガート(沐浴する場所)でガンガーを眺めていると、少年が火葬場に案内すると
声を掛けてきた。15分迷路のような道を歩き たどり着いたビルの上から
火葬場を眺めていると(遠くてよく見えない)、
80歳くらいのお婆さんが来て お祈りをしてあげる、と勝手にお祈りをしてくれた。
怪しいと、誰もが思うだろう。案の定 その後、「火葬場で人を燃やす時の薪代はとても高い。
少しでもお金を恵んで下さい。」と言ってきた。
しかも「ドルならなおさらいい。日本円でもいい」と通貨まで指定してきた。
私は20ルピー(60円)だけ渡して振り切った。
後から案内役の少年に「いくら払った」と聞かれ、「20ルピー」と答えたら、
日本語で「安い勉強代だね」と言われた。
観光客が必ずと言っていいほど巻き上げられる「薪代」。
実際は薪代ではなく町の人の生活費にでもなっているのだろう。

安宿に泊まり、翌日 ガンガーの朝日を見に朝5時にボートに乗った。
ガンガーの朝日は素晴らしかった。
船漕ぎの人は、「シヴァの頭からガンガーの水が出ている」とか「火葬場の主人は
すごく儲けているので、Varanasiで一番大きい家に住んでる」とか教えてくれた。

これら以外にも旅行会社の奴に預け金を持ち逃げされそうになったり、
安宿のベッドの異臭に吐き気をもよおしたりしたが
ここで何を感じたかということを整理できないまま、
無感覚でいる方が今はいいと結論付けて ほぼ無心の状態でVaranasiを旅した。

そしてまた夜行列車に乗り、今度は「世界一汚い街」と言われるコルカタ(Kolkata)へ向かった。


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  1. 2008/11/10(月) 08:52:57|
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India(Agra)

Agraはタージ・マハルのある町。
タージ・マハルは文句なく素晴らしかった。

インドは、とにかく いろんな人が声を掛けてくる。一人旅なのに、
一人になる時間はホテルの部屋の中のみという程に。

声を掛けてくる人のほとんどが、何か下心を持っている人々なのだが、
私はそのような人々をムカツクとか、しつこいとか、不思議と思わなかった。
彼らの話を聞くと、高額のツアーだの、何か奢れだの、案内するから金くれだの、
そんな話ばかりだが、「金はやらないよ」と笑顔で断ると、だいたいは引き際に
彼らも笑顔を見せて別れてくれる。
インドは不思議なゆとりを持っていた。(と思う私は少数派か。)

宿の主人は非常に親切で、電車の切符、車の手配など世話を焼いてくれた。
混むだろう電車の切符は、彼曰く Under the table (裏で金を渡す)でないと買えないらしい。
その証拠に、同日、オーストラリア人夫婦が 私が宿の主人に取得してもらったのと
同じ日・同じ行き先の電車の切符を駅まで買いにいき、1時間並んだが「売切れ」と言われ
買えなかったと言っていた。裏金と言っても50ルピー程度(約150円)のようだが。

・・宿の主人がどこまで本当のことを言っていたか、今となってはわからない。
が、彼は、一時的に無理やり金を搾り取るよりも、親切にした方が信頼を獲得し、よい口コミが
日本国内で広がり、それが新たな客を呼び込み 長期的に収入が得られるという
ビジネスの基本を心得ている、と私は思ったので 彼の親切に一定の信頼を置いた。
予想通り、その信頼は最後まで著しく裏切られることはなかった。(少しは裏切られた。)

夜、彼が手配してくれた夜行列車で、バラナシ(Varanasi)に向かった。


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  1. 2008/11/09(日) 10:34:38|
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India (DELHI)

会社を辞めたので、取り敢えずインドに行くことにした(何故、という問いは無用と思う。)

中国を散々周り、その他タイやカンボジアなど一通り行ったのでアジア好きを豪語していたが
インドに足を踏み入れるのは初めてだった

バックパックを背負って 久しぶりの一人旅に出かけた。

まずはデリー。街を歩くと10秒に一度は声を掛けられる。
勿論全て旅行業者。カモの私を執拗に追ってくる。
暇な私はその中の一人に付いて行った。

リキシャー(バイクタクシー)で連れて行かれた先には 偽のDTTDC(インド政府観光局)。
高額なツアーを押し売りしてきた。よくある話だ。
取り敢えず 彼らの手口を確認し、用がなくなった私はその場を去ろうとした。
すると日本語で「こんにちは」の声が。

振り向くと ロン毛でだらしなさそうな20代後半の日本人男性が立っていた。
偽DTTDCのインド人は「日本人もいるよ、ホラ」と私を安心させるべく
その日本人を私に紹介してきた。
その男を見た瞬間 「僕ね、インドを旅しているうちに住み着いてしまって もう日本に
帰りたくないので インドのニセ旅行会社の手伝いをして日銭を稼いでるんですわ」 という
言葉が 彼の口から出てきそうだと容易に想像できた。
彼は会話するにも値しないと判断した私は、
「中でチャイ飲みませんか~」と気だるそうに声を掛けてきた
その日本人を完全に無視してその場を後にした。

その後歩いていると、何人かのリキシャーの運転手に「乗れよ」と声を掛けられた。
どちらにせよ移動したかった私は 声を掛けてきた内一人のリキシャーに乗り込んだ
しかし彼は私が伝えた行き先ではなく、またもや先ほどの偽のDTTDCへ私を連れていった。
偽のDTTDCの奴等も、私の顔を見て「また来たか」と苦笑いし、リキシャーの運転手に
「そいつ(=私)はひっかからないよ」と言った。

これで終わればよかったのだが、この後2回同じことが続いた。
リキシャーはこちらから声を掛けて捕まえなければならないと身にしみた。
ていうか 偽のDTTDC、コミッション支払っているリキシャーの運転手を一体何人抱えているのか。
腹が立つというか、半ば関心した。

偽DTTDCをお腹一杯味わい、デリー滞在3時間にして既にデリーを去りたくなった私は、
汚いバスに乗り アグラー(Agra)へ向かった。


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  1. 2008/11/08(土) 10:14:04|
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退職

会社を辞めた。
理由は結婚。所謂「寿退社」というやつ。

会社は日本の男性社会の縮図だった。
皆よく働く人たちだった。

好きな人もいれば 嫌いな人もいて
何とも思わない人もいた

仕事が嫌になった日もあれば とても楽しく感じた日もあった

簡潔に書けば どこにでもありそうな 社会人生活だった
実際、どこにでもあるのかもしれない。

退職の日、会社を出て空を見上げると 会社のビルが目の前にそびえていた
中にいるたくさんの人たちが何をしているのかを 鮮明にイメージできるような、
もはや全く思い出せないような、、と考えながら それを途中でうやむやにして 
地下に潜り、電車に乗った。


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  1. 2008/11/08(土) 09:24:46|
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