思うところ

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India(おまけ)

インドは、「日本人女子に対するセクハラが多い」と言われている。
何でも、インドでは日本のエロビデオが出回っているため
日本人の女の子と言えば、エロビデオの中の女の子のイメージが浮かぶようで、
すぐセックスさせてくれると思っている人がいるらしい、とか。

そういえば、こんなこともあった。

噛みタバコで歯が溶けたぽっちゃりというかおデブなインド人は、
うれしそうに足を触ってきたし、(触るなと言って手を跳ね除けてやった。)

駅で電車を待っていたら、シャツの胸元を広く空けた、20代後半と思われる
比較的美男子?のインド人が寄ってきて、「名前はなあに?」「旅行なのー?」と
甘ったるく声を掛けてきた。
すごく密着して座ってきたので、「何か用?」と言ったら 「何も・・」と切なそうな
上目遣いで言ってきた。
その上目遣いがかなり本格的で、恋をしているような目つきだった。
なんだコイツはと思って、「Go Away」と言ったら 「何でそんな冷たいの・・・」と
いう目をしていたが 更に「Go Away, now!」と大声で言ったらすごすごと去っていった。

その他「明日からお祭りがあるからここに残りなよ、僕と一緒に過ごそう」とこれまた
甘い声で言って来た 中年インド人とかがいた。(これも同じく無視。ていうか結婚してんだろ
って感じ。)

短期間でこんなに多くの接触があったので、確かにセクハラは多いと言えそうだ。
どれも軽度ではあったが、私は明るいうちにしか行動しなかったし、
周りに人がいない場所には行かなかったのでこの程度で済んだのかもしれない。

男ってのはー どこの国へ行ってもスケベなんですなぁ。
まあ 個人的な意見としては 風俗へ行って金で済ませるタイプより 自分で声を掛けて
女子を説得して(口説いて)手に入れるタイプの方がマシだと思うけど。

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テーマ:一人旅 - ジャンル:旅行

  1. 2008/11/28(金) 05:31:47|
  2. 旅(インド)
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日常へ

デリーから乗り換えのために香港へ。関西空港行きは4時間後発。
香港の免税店周辺で時間を潰さなくてはならなかった。
しかし動き回る元気などない。寒気と腹痛が酷い。
私はトイレの前のソファに座り込み、10分に一度は
ソファとトイレの往復をしていた。

香港は、冷房好きで有名な場所だ。とにかくどこへ行ってもバカみたいに冷房が効いていて寒い。
ユニクロのパーカーだけでは耐えられない寒さだ。
何だって無駄なエネルギーを使って、寒さを感じなくてはならないのか・・・。
怒りを感じる気力もなく ソファに沈んではトイレ、を延々と繰り返した。

そうしてようやく4時間が過ぎ、関空行きの飛行機に乗り込み、
関空から新幹線で名古屋(実家)へ行き、私の一人旅は幕を閉じた。

旅に行く前は、「インドで人生について考えよう」的なありがちなことを考えもしたのだが、
思い返せば 人生のことなど何も考えなかった。
Kolkataで出会った日本人大学生の男の子は「ガンガーを眺めながら人生考えました」
と目を輝かせて言っていたが、その時私は「一体何を考えたのか、ほぼ縁もないだろう
ガンガーなど見て、何を考えられるというのか」と不思議に思ったほどだった。

だが私も 大学生の頃は、「一人旅で人生再考」というのが趣味のようなものだった。
あの頃の一人旅は、不思議と日常とは違う感性が芽生え、自分の考えの土台のようなものを
築く とてもいい時間だった。
だが、何故か今回は違った。大学の時のように、旅では様々な出来事があった。
にも関わらず、あの頃のような感覚はなくなっていた。

たぶん もう土台を築く時期は過ぎていたということと
何かすごく疲れていて 何も考えたくなかったから だと思う。

ただ私はインドをフラつき(ほとんど「彷徨った」という感じ)、水道の蛇口から
出てくる水を頭から浴びて体を洗い、白いヤモリや蚊と一緒に眠った。
でもそれだけで、十分だったと今は思う。
そういう インドでのシンプルな生活によって おおよそのモノは生きていく上で不必要だと
いうことを再度実感できて、私は何だか解放された気分になったからだ。

というのはまあいいのだが、困ったのは原因不明の寒気と腹痛だ。
名古屋へ戻ってもそれはやはり治らず、翌日友人家でのたこやきパーティー
へ行く時など体調不良度合いはMAXになり 歩くこともできない私は
Tシャツにインドで買ったサイババパンツ、ノーメイクの姿で友人の車に倒れこんだ。
(そこまでして行く必要はあったのかわからないが)

友人宅に着いてからも、たこやきを一つとして焼くことはできず、
友人の彼氏のテンピュールの高級ベッドの中で唸ることしかできなかった。
だが 友人が彼氏の前で 少林寺のポーズがプリントされた黄土色のTシャツを
ジャージにインして着、ノーメイクでチョンマゲを結っていた姿を見たときばかりは、
瀕死の私の顔にも笑顔が取り戻された。
誰が付き合って1年かそこらの彼氏の前で少林寺Tシャツをジャージにインするだろうか。
無理して来た甲斐があったというものだ。

その後帰宅し、流石に腹痛が治まらないので、母が買ってきてくれた薬を飲んだ。
その薬の名前は「ガスピタン」という とぼけた名前の、効かなさそうな薬だった。
だが、数時間後、私の腹痛はあっさり完治したのだった。

そうして私は腹痛の回復と共に日常へ戻っていった。

テーマ:一人旅 - ジャンル:旅行

  1. 2008/11/24(月) 08:37:22|
  2. 旅(インド)
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India(Darjeeling2)

その後街をフラつく。が、Darjeelingの街は空気が汚い。
標高2000メートルの地とは思えぬ空気の悪さだ。
空気を汚す諸悪の根源は 私が何度も世話になったジープだ。
道路条件が最悪の道を力強く走るジープは移動時は心強いが、
徒歩する立場となると一気に迷惑な存在になる。
ディーゼルエンジンを使用しているらしく 排気ガスは真っ黒で、悪臭がする。
タオルを口に当てていたが、肺が苦しくなり咳き込んでしまったほどだ。
私は街をゲホゲホ言いながら走りぬけ、空気のいい場所まで登った。
Darjeelingの人は、せっかくこんな素晴らしい自然の中に生きているのに、
生活する場ではいつもあんな排気ガスが蔓延しているなんて・・・。
どうやったらDarjeelingでディーゼル車を廃止できるもんか、政治家は考えているのかと
短時間考えたが 私には何もできまいと思ったら急に無気力になって 考えるのを止めた。

その直後、
排気ガスのせいか、気温が急激に下がったせいか、腸チフスが流行していたKolkataで
ハエがたかる屋台のカレーを食べていたせいか、何だかわからないが 急に体調が悪くなった。
フラフラになりながらホテルに帰り、ベッドに倒れ暫く眠った。が、全然治らない。
お腹は痛く、ガタガタと体が震える。ヤバい。しかも明日はDelhiから帰国しなければならないのに。
私は近くの薬局で買ったインドの抗生物質を飲み込んで、もう一度寝た。
暫くしてもう一度起きたが、やはり治らない。でももうDelhiに行くために
空港に行かなければいけない。この飛行機でないと、帰国便にも間に合わなくなる。
私は荷物を纏めてバックパックを背負って宿を出た。

体調最悪の中、またジープに乗る。でもあとは乗り物に乗るだけ、、何とか大丈夫そうだ・・・
そう思っていたが、いつまでたっても空港に着かない。
お祭りをしていて、大渋滞で車が前に進まないのだ。
その上ジープの運転手がお昼休憩など取るから、1時間半以上余裕を見ていた時間がいつの間
にかなくなり、本当に飛行機に乗り遅れそうだ、というところまで時間がなくなった。
「大丈夫、ここはインド。焦らない。」とずっと思っていた私も流石に焦りはじめ、
「飛行機に間に合わないよ!早く出発して」とカレーを食べている途中の運転手にせがんだ。
運転手は、大丈夫、あと30分くらいで着く、と言う。あと30分じゃ、出発時刻を越えてしまう!
更に私は言った。すると、航空会社はどこだと言う。チケットの控えを見せると、航空会社に
電話して何やら話している。電話を切ると、運転手は「大丈夫、飛行機は出発が1時間遅れる
ことになったらしい」と。
「ウソつけ!クソ!」と私はつい怒鳴った。
何かわからないが絶対に嘘だと思った。もし本当だったら悪いな、とちょっと思ったが、
謝る余裕は既になかった。

その後 半ば諦め気味で、空港に向かった。が、どこかでまだ大丈夫では、
飛行機には乗れるのでは、と思っていた。
ジープを降り30分程リキシャーに揺られ、ようやく空港に着いた。
走ったが、時既に遅し。飛行機は遅延などしていなかった。定刻通りに出発していた。
私のチケットは、変更不可のもの。よって、そのチケットは紙くずとなった。

だが、今日Delhiに帰らないと、帰国便までパアになってしまう。
金を出すから、他の便はないかと聞いても、ないと言われる。
でもどうしてもDelhiに行かねば。他の航空会社をいくつも周った。
ようやくある航空会社に、あと30分後にある、と言われ、信じられない程高い値段を言い渡された。
背に腹は変えられない。私は持っている全財産を出してチケットを買った。
チケットを買ったら、残ったのは20~30ルピー(100円くらい)だった。
本当にギリギリだった。これでお金が足りなかったら本当にお終いだった。

とにかくようやくチケットを手に入れ、私はDelhiに戻り、体調最悪のまま帰国の途に着いたのだった。

テーマ:一人旅 - ジャンル:旅行

  1. 2008/11/15(土) 09:24:18|
  2. 旅(インド)
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India(Darjeeling)

Kolkataを離れDarjeeling(ダージリン)に到着。
電車で知り合ったカナダの男の子と一緒に乗り合いジープに乗る。
乗った後に運転手が決めた筈の乗車賃を値上げしてきた。
何やらいろいろ理屈をこねている。
インド人は英語で言っていたのだが、訛りすぎていてカナダ人の男の子は聞き取れないようで
「何を言っているんだ」と私に聞くので 私が英語で説明していた。
インド人の英語も酷いが私の英語も相当酷い。酷い英語を更に酷い英語で英語がネイティブの人
に訳して伝えるなど妙な通訳だが何とか通じたようだ。
結局ちょっとだけ乗車賃を上げられてしまったが、適正価格の範囲内であったためまあよしとした。

それより気になったのは、ジープに人が乗りすぎており 
私は助手席にカナダの男の子の二人で乗るハメに。ベンチシートのような座席だったので
なんとか座れたが、運転手とカナダ人に挟まれる形で座った私の股の間には、丁度
シフトチェンジする棒が。
どうしたものかと少し悩んだが、窮屈で微動だにできない。私は諦めた。
勿論車はマニュアル車だ。でこぼこ道のため5秒に一度はシフトチェンジが行われ、
その度に私の股の間で運転手がガクガクと棒を動かす。運転手は全く躊躇しない。意に介さずと
いった感じだ。私は何とも言えぬ複雑な気分だった。
約1時間後、休憩を挟んだがカナダ人が席を代わってくれる気配もない。一人で耐えろという事か。
私は股の前に本を当て、シフトチェンジの棒から気持ち距離を置くことだけが精一杯の足掻きだった。

2時間後、ようやくDarjeelingの街に着いた。気温はKolkataより20度くらい低かった。
空気は澄んでおり、山頂近くに立ち並ぶ家々が造る町並みは、見たこともない景色だった。
街に降り立つと、今までのインドと明らかに違う感じがした。
何が違うかって、まずそこに住む人が違った。チベットが近いことがあり中国系の人が
非常に多かった。また、ネパール人も多かった。
又 皆物腰柔らかく、親切だった。
もう一つ、犬が愛されているだろうこと。イギリスの避暑地として開発された
街ということもあり、犬種はスコッチテリアなどテリア系が多かった気がするが、
多くの犬がきちんと人に愛されていることがよくわかる程 手入れされ、程よく太っていた。
Varanasiのあの薄汚い犬達とは全然違った。運命とは手厳しいもんだ。

Darjeelingに来たので、取り敢えず茶畑行ったりしてみた。
茶畑は確かにあった。取り敢えずDarjeeling teaも買っておいた。
世界遺産の蒸気機関車にも取り合えず乗っておいた。

翌日早朝3時に起き、乗り合いジープでヒマラヤ山脈を一望できる丘まで行った。
これが何とも素晴らしい景色で、モンゴルで見た水平線から上る朝日と同じくらいに感動した。
その日は晴れておりヒマラヤ山脈はくっきりと見て取れ、その他の山々は雲海から頂上だけ
頭を出していた。運よくエヴェレストのピークも見えた。
それらの山々が太陽により徐々に照らされていく光景は、何時間でも見ていたいと思わせてくれる
ものだった。

テーマ:一人旅 - ジャンル:旅行

  1. 2008/11/15(土) 09:22:05|
  2. 旅(インド)
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India(Kolkata3)

その日はマザーハウスに世界中から50名程のボランティアが来ていた。国籍は
カナダ、UK、スペイン、インドネシア、韓国など 様々だった。
ボランティア先として「障害児の家」「障害者の家」「孤児の家」「死を待つ人の家」の4つの「家」
があるが、私はその内の「障害者の家」という場所へ行くこととなった。

韓国の人に案内してもらってその場所に行く途中、
アウト・カースト(不可触賤民とも言われ差別を受けている)の居住区だろう場所を通った。
暫く雨が降っていない筈なのに水たまりが多く 足元はどろどろしており、異臭がした。
家は今にも倒れそうで、中の人々はとても暗い表情をしていた。
そこは、さっき歩いたKolkataの整備された街と目と鼻の先だった。
インドのカーストは根強いとは聞いていたが、初めて目の当たりにした。
その時の気持ちは言葉では表しようがない。何か、苦しかった、としか。

数十分後に「障害者の家」に到着した。が、先ほどの倒れそうな家々とは対照的に
非常に立派な建物だった。恐らく世界中からマザーハウスに寄付金が集まっているからだろう。
だがマザーハウスに保護された人達もいれば、保護されない人達もいる。
マザーテレサの草の根的活動は言うまでもなく素晴らしいが、その活動が救えない範囲もある
ということを、アウト・カーストの人たちの家を見て痛感した。
助けを求めている人はまだいくらでもいるんだ。

ボランティア自体は、非常に楽しめた。
私は寝たきりの人がご飯を食べる手伝いをしたが、この寝たきりの人が非常によく食べた。
プレートに乗せられたカレーを、一粒も残さず食べ切った。
でもその人は、一言も口を利くことができず、食べ終わるとすぐに寝入ってしまった。
寝たきりでない人々は言葉はヒンドゥー語なので会話することはできないが、
意外に人懐っこく、目と目を合わせてコミュニケーションすることができた。

そうやって楽しんでいた一方で、1日だけ「体験ボランティア」をして、一体何がわかるのかと
言う気持はずっと消えなかった
確かにこの目で見ることはできたが、何を学んだかなんて、そんなたいそうな考えが出るほど
長い時間いなかった。
結局、「このボランティアを長期間やるということはすごいことだ」というのが精一杯の感想だった。

又、マザーテレサは、マザーハウスに来てボランティアするよりも、自国の困っている人に手を
差し伸べなさい、と海外から来たボランティアに言ったらしい。
流石だ、と思った。
既にできあがった(知名度高く、人々に認められた)マザーハウスに一時的に
来るのと、自国で地道なボランティア活動するのとでは、たぶん大きく違う。

実のところ私はマザーハウスのボランティアを、インドの旅のどこかの場所と同じく
チラ見して、通過していったに過ぎない。日本に帰ってボランティア活動するかと言えば
「それとこれとは別。ボランティアはしない。生活もあるし。」と言ってしまうだろう。

旅はいい。いろいろな世界を見れる。思いつかないことが目の前で起こる。
でも、そうやって ただ通過するということだけを繰り返すことは
ただの逃げのような気がした。



テーマ:一人旅 - ジャンル:旅行

  1. 2008/11/14(金) 05:58:32|
  2. 旅(インド)
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